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執筆者の写真征矢野清志

有名講師案件の物件整理 ベトナム編 No.1

ベトナム、サイゴン(ホーチミン)


1969年生まれのワタシ、子供の頃はベトナム戦争と言う歴史に残る過酷で、大きな禍を残した戦争を子供ながらに知って居ました。

報道は勿論、その後多くの映画が排出され、ベトナムとアメリカは天敵の様な関係なんだろうなと小学生の頃は所感していた次第です。


ところが。。です。

私が中学生か高校生の頃、ベトナムにコカ・コーラの看板が立ち、アメリカ資本がどんどん組み入れられていく姿を目にしました。

1986年のドイモイ政策ですね。

吃驚しました。

ベトナムと言う国のしたたかさも強さも賢さも出ている政策でした。


話は少しズレますが、思い返せば過日のASEANには、素晴らしく聡明で且つ強いリーダーシップを持った指導者が排出されました。

代表的なのはルックイーストを提唱した、マレーシアのマハティールとか。

アジアの胎動を予見させる強く賢いリーダーが、アジア躍動の種を撒いていた時期でした。

ベトナムのドイモイも、ベトナム躍進の為の大きな種だったと思います。


さて、ベトナム。

私が初めて訪れたのは、2000年初頭のサイゴン(ホーチミン)だったと思います。

当時のホーチミン(以下HCM)は、

・竹製自転車が走り

・3輪自転車タクシーに乗り

・川を渡るのは渡し舟、しかも渡った先は土埃だらけの単なる何もない原っぱ

でした。

この写真は、2011年の渡し舟、2区


でも2010年くらいからHCMの激変は始まります。

第一次?か知らんけど、不動産ブームが押し寄せました。

その象徴が、「HCMの巨大な壁」と私が勝手に呼称していたサイゴンパールの登場です。

ここから、いつ頃かなぁ、2013くらいまでかな?第一次不動産バブルみたいなのが生じて、かなりの高値を付けたんです。

でも、ベトナムの法律で外国人は保有できないので、ベトナム人市場の中だけでバブって過熱しすぎ、調整に入ってたと。


そこで飛び出してきたのは、2015年確か7月、「外国人も区分保有権の50年リースなら買っても良いよ」と言う法令です。


こっから2020年くらいまで再度バブル訳です。

既に2008年から海外動産投資に身を投じていたワタクシ、参加しない訳がありません。 では、時計の針を戻して2015年から次号は開始します。


By soyano

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